2016年6月12日日曜日

書評:病の皇帝「がん」に挑む

年末のレミー・キルミスターから始まった。デヴィッド・ボウイ、キース・エマーソン、グレン・フライ、そしてこの前のプリンスに、最近ではニック・メンザ。死因はそれぞれだけれども、「虐殺」と形容したくなるような訃報ラッシュのように感じる。

レミーはとくに、昨年のフジで見たので印象に残っている。
フジカエリ'15

しかし彼は確かに、日本でステージに立っていた。わずか半年前の話だ。
老いたりとはいえ、あんなにでかくて固い音を響かせていた男が、簡単に死ぬなんてことがあるのだろうか。未だに不思議に思う。
なにしろ天然記念物的な彼のことだから、長生きしてほしい。そんな願いはどうも、叶わなかった。





子どもの頃から、がんという病気はあった。時折、新しい治療法ができた、なんていうニュースは耳にする。しかし、今でも相変わらず、がんは人の命を奪う。

僕はどこかで、問題はいつか解決されるものだ、と思っている。なんとなく。
もちろん僕ではなくて、他の誰かさんが、だけれども。
学生のころにリッター10kmで走っていた自動車の燃費は今や30kmにまで伸びた。世界を震撼させたエイズだって、少なくとも金さえあれば「死ぬ」病ではなくなった。
きっと誰かがステキな発見をして、世界は長足の進歩を遂げるのだ。だから僕はきっとがんはで死なない。
根拠なく、そんなことを考えていた。

もちろん現実は違った。
治療法の進展は、僕の予想をはるかに下回る。遅々として進まない。21世紀に入ってずいぶん経つけれども、70歳はおろか、僕よりも年若い命が奪われている。
がんはまさに、病の皇帝として屹立している。
このままでは僕が年老いたとき、順調がんで死んでしまうではないか。まったく困ったことだ。

そんな進歩の遅さは、僕を少し驚かせ、苛立たせる。レミーにしても、ボウイにしてもセレブリティだし(金もあるだろうし)、70歳というのはあまりに若い。
セレブリティだろうがなんだろうが、あっけなく、拍子抜けするほどあっけなく、人はがんで死ぬ。


病の皇帝「がん」に挑む ― 人類4000年の苦闘 上
シッダールタ・ムカジー
早川書房
売り上げランキング: 23,603

ずいぶん読むのに時間がかかってしまった。

がんの歴史本、という風に云ったらいいのだろうか。
著者のシッダールタ・ムカジーは内科医であり、がん研究者。がん、そして治療の歴史を丹念に追う作りになっていて、邦題のサブタイトル「人類4000年の苦闘」よりも原題の"A Biography of Cancer"の方がしっくりくる。


人はずいぶんと長い間、この病気と格闘していたのだ。それこそ4000年も前から。平均寿命が伸びるに連れて、がんで苦しむ人が増えていき、たくさんの人に関わる問題として立ち上がった。
もちろん、がんの治療法にも歴史がある。僕だって手術、放射線治療、化学療法があることくらい知っていた。でもそれらが、どのように編み出されたか。その歴史は知らない。今現在の手持ちの選択肢を知ることと、その履歴を知るのは別のことだ。
そうしたことを丁寧に、倦むくらい丁寧に、この本は教えてくれる。

印象的なのは化学療法に関する部分。薬とはつまり毒なのだな、と再認識する。強い毒を2種類、3種類と組み合わせて、徹底的にがん細胞を叩く。執拗なまでにに叩く。そうしないと耐性をもったがん細胞によって、身体は再びうめつくされてしまうから。
それは副作用も出るよね、毒だもの。まったく苦しかろう、と思う。

読んでるだけで苦しいのだけれど、忘れてはいけないのは、そうした選択肢は、試行の連続として編み出されてきたもの、ということだろう。様々な試行は今から振り返れば、やり過ぎの部分もあり、やり足りない部分もある。適切な技術の運用とは、適切な水準の把握を前提にしているだろう。ではその「適切」とはなにか。
端的に言えば、がんが治ることでもあるし、患者が健康を取り戻すことでもある。がんが治っても治療によって障害が出る場合があるし、治療そのものが耐え難い場合もある。「適切」の水準は、一律に決まらないのだ。


この本は僕が最近感じている拍子抜けや苛立ちを解消はしてくれるものではなかった。が、少し鎮めてくれるくらいの効果はあった。
成功も失敗もあるし、それらはすべては試行の中で生まれる。日常生活でもごく当たり前のトライ・アンド・エラーが、がん治療でも行われている。そういった事実の確認。
世の中に魔法の杖なんてものがない、ということの再確認だ。

自分ががん患者になればもちろん、こんなことでは納得しないし、静まらない。絶対に治せ、といいたいもの。ただ、提供できるものがこれだけなんですよ、ということであれば、もちろん受け入れるしかないのだ。


時が至り、病膏肓に入る時ははやり、変なツボとか水とか、買っちゃうのだろうか。僕ったら。適切の水準は、その人自身が決めるしかないとするならば。
少なくとも現在のところがんではない(と思う)僕としては、そんなことを思う。