2015年3月7日土曜日

根拠付けからの快刀乱麻『生物多様性保全の経済学』

やー。ね。キライなんですよ、生物多様性。
考えてみて、やっぱりそれには乗れないと言ってみる


だから勉強しようと思って。キライなんだけど読後感としてはかなりポジティブ。

生物多様性保全の経済学
生物多様性保全の経済学
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大沼 あゆみ
有斐閣
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恐ろしいね。2,700円もしたんだね。勢いって大事だね。

「経済学」の名前を冠しているだけあって、本書の内容は必ずしも平易とはいえないし、どちらかというとテクニカルな話が多い。
しかしそれはある意味で当然なのだ。この本の焦点は生物多様性ではなくて、経済学を用いて生物多様性保全のための手法を検討するものだから。
なによりも理系というか、生物学的な話にそれほど詳しくない人(たぶん著者の大沼さんはそうなんだと思う)が生物多様性について知る手立てとして、特に序盤の書かれ方は丁寧で好感が持てました。
たとえば、大学のぱんきょーとかで使う教科書的な位置づけとしても有用な本なのでは。




本体の内容はすごいですよ。ワシントン条約における野生生物保護、保護区、コモンズ論、そして僕も気になるグリーン財認証論、はては遺伝資源利用まで。総花的っちゃ総花的なんだけれど、多様性保護を目的とした手法は実にさまざまある。うまくいっていることもあれば、課題もあるぜ、ということが一冊でわかるのがいい。
読み終えるとブックオフ行きが多いんだけれども、これは家にしばらくいることになりそう。索引つきなのも高評価。

本当のことを言えば、コモンズやグリーン財(僕の方面に引き寄せると森林認証ということになるんだけれど)は、直接生物多様性とは関わりがない。しかし、何が生物多様性を損なっているか、もっといえば何が特定の種を危機に追いやっているかを考えれば、僕らの日常的な商取引なわけだ。
言ってみれば、生物多様性を縦糸にとって各論に落としこんでいくスタイルなわけで、考えを深めやすいのかもしれない。今後の参考にしよう。なんか試験勉強的にもいい気がする。

経済学ならではと膝を打ったのは、野生生物の保護について。アフリカゾウの象牙とか。厳密に取り締まりをするよりも、合法市場を設けたほうが密猟が減って、個体数が回復したとか。あるいは、金持ちたちがサバンナでめちゃくちゃ高い金を払ってやるトロフィー・ハンティングの効用とか。
そういうのは、やっぱり生物多様性の本義からは外れていくけれど、地元に金がなくては保護もできぬ、という一種の国際協力やエンパワーメント論の色合いを帯びてきたりする。一部で奏功してもいる。こういう話は読んでいてすかっとします。

でもね、たとえば自然保護が好きな人でこういう話がキライな人もいることも承知しています。トロフィー・ハンティングなんて慎ましい4人家族なら数ヶ月暮らせるような金をぽんと払って野生生物を狩る、まさに貴族の遊びだから。
不遜だ、とね。そんな風に思う人もいるでしょう。



大沼さんは冒頭、「生物多様性保護はなぜ必要なのか」を考察する。そして道具立てとして「人間中心主義」と「生態中心主義」という言葉を使う。
なつかしいぜ。僕が学生をしてたときは「生態中心主義」は「自然中心主義」と呼んでいたような。

大沼さんはこんな風に説明する。
生態中心主義の原点はカントが考案した「本質的価値」にある。人間は目的に対する手段ではなく、存在そのものに価値がある、という考え方。この考え方を人以外にも拡張していく考え方/「道徳的サークルの拡張」(参政権が白人男性→白人全体→他の人種に拡張された歴史を想像されたし)→自然にも固有の価値があるとする考え方を、生態中心主義という。
これに対して人間中心主義は逆で、まさに道具的価値を重視する考え方と言える。
(p25あたり)
うん、たぶんそんなことを昔べんきょーした気もする。

そして冒頭のリンク。生物多様性条約の案から抜かれたという
「人類が他の生物と共に地球を分かち合っていることを認め、それらの生物が人類に対する利益とは関係なく存在していることを受け入れる」
という文章は、どストライクで生態中心主義、道徳的サークルの拡張が意図された文章であったことがわかる。今にして。なるほど、そういうことだったんですね。

もっとも大沼さんはこの対立軸から何かしらの結論を導き出す意図は特にないようだ。この辺も教科書的ではある。
しかし、その後に続くのはトロフィー・ハンティングを始めとした、管理手法の比較効果分析なのよ。効果の比較考量って間違いなく、道具的価値観の成せる技であって、生態中心主義はどうなったのよ、という疑問が湧かないこともない。
だって比較効果分析って、各案でもっとも有利なものを判定するわけだから、場合によっては「この種の絶滅やむなし」という判断だって当然ありうる(大沼もこの点は指摘している)わけだ。
そしてたぶん、この考え方はきっと、ある種の人々をイライラさせる。



ただし、彼女は人間中心主義と生態中心主義の議論の中でこんなことも云う。
もちろん、人間中心主義といっても原理主義的なものではないことが多い。実際、殆どの人は、人間中心主義と生態中心主義のいずれか一方のみに与することはなく、その間の何処かの位置にいるはずである。(p41)
そりゃそうだ、という話である。
そして本書で紹介されている管理手法のいくつかは、実は君たちの中に眠る生態中心主義を利用したものがある。
例えばグリーン財制度。アルファ・コンシューマっていう言葉がある。わざわざラベリングを見て「お、これSFCマークのついたのコピー用紙やんけ!買ったろ!」と選んでくれる人たちのこと。
あなたはプリントアウトをするためにコピー用紙を買うのであって、印刷さえできればいいはずである。なのにSFCのやつを、ちょっとばかり高い金を出して買ってくれる。
その理由はもちろんミエとか、そしてミエとか、はたまたミエとか。実にいろいろあるんでしょうけれど、その中の一つに「環境に優し(そう)だから」というのが含まれているとすれば。
おし!オマエ今日から生態中心主義者な!とは言わない。でも控えめにいって「混じりけのない道具的価値観」からはいささか逸脱した購買行動だ、と言うことくらいはできるだろう。
大沼さんがおっしゃるのはつまり、そういうことなんだと思う。

全体からすればごくわずかな紙数ではあるけれど、最初にこの辺の話があるから、容赦の無い経済分析に移ることができるのかしら、と感心しました。想像以上の切れ味。
仕事柄、費用対効果の計算をする機会があるし、そういった文献を読む機会があるけれど、いきなりお金の話をしてしまいがちだ。
いきなり75兆って言われてもねぇ。
ある種の前提条件の上で、結論としてお金の話をしているという共通理解がもうちょっとあったほうがいい。



例によって面白がって書いているエントリーは長くなってしまうので、稿を改めますね。
これで書きたいことの半分くらいなので。


さしあたり、この本も面白かったです。生物多様性の技術とかを学ぶのであれば他の本があるんだと思う。でも生物多様性「保全」を学ぶのであれば、僕らは金目のことを考えないわけにはいかない。つまり経済学の話に首を突っ込むのだ。そういう意味で、体系的にまとまっているのはなんとも強み。
新しい本だから、情報のアップデートという意味合いでも価値ある一冊だと思いましたよ。