2011年8月7日日曜日

匂いを嗅ぐ

街で見かけた。這って歩いていたり、とても工夫された車椅子、とでも呼ぶべきもの、に乗っているひと。足に障害を負ったひとだ。カメラを向けることはできない。
どうも多いような気がするな、くらいにしか考えていなかった。

エージェント・オレンジ。そういう言葉がある。ここで「オレンジ」という言葉が何を意味するのか、僕は知らなかった。

現物資料館に行こう、と先生が云った。現物があるから。現物?と思った。博物館には戦闘機や戦車、銃など「現物」がある。なるほど。そして3階にはもうひとつの「現物」がある。街で見かける彼らもまた、「現物」の一部なんだ、と気がつく。


このページはすべてを氷漬けにしてしまう。ここには匂いはない。それは僕の企みでもあるし、ウェブの性格上、仕方がない。

日本には、匂いのないものが多すぎた。そう思う。あるはずの匂いが、あまりしない。あるはずのものが捨象されているような、そんな感覚。魅力的だったり、吐き気を催したり、良くも悪くも匂いに溢れた、この場所で感じることだ。


先生の小指には2つの傷がある。稲の収穫のとき、カマで自分の手を傷つけてしまった、と笑う。先生はむかし農家だった。1975年、戦争が終わった。カマは社会主義の象徴でもある。

父は南ベトナムの兵隊だった。私が10歳のとき。戦争が終わって、みんなサイゴンを離れ、帰農したんだ。ここには食べるものがなかったから。
それから飢饉が4年続いた。虫がすべて食べてしまった。本当に食べるものがなくなったんだ。
先生は授業を続けながら、泣き笑う。僕たちは、ただ戸惑う。刻まれた小指の傷は、記憶を引き出してしまうのかもしれない。

食べ物は輸入できなかったの?と聞くと、Embargo,という。英語だ。僕はその言葉を知らない。今、北朝鮮でやられているでしょう?と言われて、経済制裁のことだと気がつく。

なにしろ、ものがなかった。店の前で長い列を作って、商品を買うんだ。私の順番で、ちょうど品切れのときもあった
先生は少し笑う。


閉じ込められたことのある人は、きっと閉じ込められることの残酷さをよく知っている。当事者ではない僕もそれが残酷であることを知る。僕はそれまで知らなかった。そして、その矢は、32年後の僕らをも射るだろう。


知らないよりも、きっと知っていたほうがいい。それが僕がこれからするかもしれない残酷さを回避する、唯一の方法だと思うから。本当はあるはずの匂いを、注意深く嗅いでいくことにする。